ayacondenser

ヒストリー 第2章:発表

memo, my music / live|2016/08/29 posted.

08.01(Mon) 大阪・扇町 para-dice
出演:ハンバーグオムレツ / フサイフォン / 立てる/ 国吉亜耶子and西川真吾Duo

13654282_886725598098142_8454903392818932171_n

この日は急遽発表されたが、実は計画的なものだった。

はじめは、『国吉亜耶子and西川真吾Duo』として
「関西での最後のライブはここでやりたい」
ただ、それだけの気持ちだった。

それには理由があった。

para-diceにそれらの全ての説明をした。
初めは8月2日にお願いしたのだが、
それなら8月1日、事情も含めて出演者集めてみる。
そう提案してくれて8月1日になった。

告知もギリギリになるという事情もあった。
共演者の皆さん”その事情”を踏まえての共演だった。

人伝に聞いたこと。
共演のハンバーグオムレツのボーカル、カリスマくんは、
私が休止してから再開(再会)するまで、
アルコールを断つと決めて、本当に止めていたと聞いた。
この話には本当に驚いたし、胸を強く打つものがあった。
実際にその時の話を聞いたら、
「アルコールやめてる間、身体すごい軽くなりましたよー!」
なんて、明るく笑顔で言っていて、
こいつは本当にすごいヤツだ、そう尊敬したし感動した。
だから、一緒にやれたのも嬉しかった。

13627183_886726111431424_7898458078656987732_n

para-diceでのライブが決まり、時間の経過と共に、
「名前が変わること、ここで言おう」
そんな気持ちが強くなって行った。
それを言うのは、やっぱりここがいい。

これは私のワガママだった。

昨年の8月2日、私の誕生日に活動再開の発表をした。
今年の8月2日、名前が変わることを発表しよう。
その前日、ここで報告をしよう。

今だから言えることがある。

2015年4月6日 扇町para-dice。

西川がドラマーとして、イベントに参加することが決まっていた。

その時に私も付いて行った、というより正確には勝手に行った。
活動休止の期間中は、沖縄での療養と東京での病院という生活。

人前に出ることは控えていた。
正直言うと、会える状況でなかった。
強い薬のせいで、肌もボロボロだし、
歩くのものろのろだし、動機や息切れもあった。
私自身は、会うことは別に構わないけれど、
会ってしまうとその相手の方がきっと困る。

ちょうどこの頃に、
今までの私の人生で1番辛く苦しい時期がやって来た。

だからこそ、誰かに会いたかったし、
そうでもしないとやってられなかった、のかな。

そんなタイミングで、
西川がpara-diceに行くことが決まっていると知り、
行く理由を無理やり見つけたように、勝手に押しかけた。

そこで、西川とシムさんの計らいにより、たった1曲歌った。
当時は事務所にも所属していた関係もあって、こっそりだった。

para-diceのシムさんや安井さんが、
たまたま居合わせたお客さんや、出演者のみんなにも、
ツイッターとか絶対あげないでくれと、お願いしてくれた。
その時にここにいた人は、全員きちんと約束を守ってくれた。

私は、もちろん歌うつもりなんてなかった。

ピアノを弾くのも歌うことも、
全くしていなかったので、「大丈夫かな」
そんな独り言も思わず口から出たと思う。

いざ、歌うと、なんとかなるもんだった。
集中力だとか、その感覚は、蘇って来た。
ただ、体力が本当にやばかった。
1曲でこんなになってしまうのか、そう思った。

そこで一度、復活を諦めてしまおうかと考える自分が居た。

「30分ライブなんて、無理だよ。」

時は、流れる。世の中は音楽は溢れている。
時の流れの経過と共に、みんなが音楽やライブを楽しんでる様子も見える。

そう、ぼくらの音楽が無くても、みんな生きていける。

それでも、para-diceに行った自分が居た。
その時に求められたら応えたいと思う自分が居た。
あの場所でなければ、私は歌うことを断っていたかもしれない。

SNSなどを見ていると、本当に時々だけれど、
私のこと、私の音楽を思い出してくれる人が居た。

それが、どんなに幸せだっただろう。
どんなに、心強かっただろう。

そして、気付かされる。

「幸せに感じられるなら、まだやれるかもしれない。」

そこから挑戦が始まった。
少しずつ、スタジオに入るようになった。
キツイ時にはやれることをやろう。
PCで曲を作るための勉強をしたりもした。

ぼくらは、

2015年8月25日に活動再開をする前に、

2015年4月6日にリハビリをしていた。

その1年後、2016年の4月6日para-diceで、
再開して今までで1番長い尺のライブ、
ツーマンライブをさせてもらうことになる。

あの日があって、再開への希望が持てた。

だからこの日に、言おうと思った。
ここで、言いたかった。

色々な思いがめぐりめぐった。
ギリギリまで西川と、
「やっぱり、改名やめる?」
なんて言って合っていた。

でももう、腹を括っていた。

ここしかない。逃げてはいけない。
こんな機会はきっともう、二度とやって来ない。

自分の気持ちを確かめるように、
ひとつひとつ言葉を探しながら、
ゆっくりゆっくり話していた。

para-diceで皆さんに聞いてもらったお話は、
全て自分に言い聞かせていた。

それを皆さん、しっかりと聴いてくれた。

急遽の告知にも関わらず、
本当にたくさんの皆さんが集まってくれた。

みんなみんな、ありがとう。

8月2日になったら、
みんながカウントダウンをしてくれた。

13901457_1091073474315330_5340248077236546096_n

ケーキをこんな風に食べたの、初めてだ。
シムさんと、何かを誓った瞬間だ。

ハッピーバースデー。あたらしいぼく。

そんな気持ちのまま、
翌日、新幹線で東京へ戻った。

余談だけれど誕生日に1番初めに鳴った電話が、

「家賃、まだ振り込まれてません」

完全に、忘れていた。

「あのー、いつも割と早めなので、ちょっと心配になって。。」不動産の方が言っていた。

優しさのプレゼント、頂いたと思うようにした。

 

ありがとう!みんな!

 

 

COMMENT

1件のコメント

  1. ろろ

    素敵な日記ですね。
    感動しました。

    2016-08-29|10:08| 返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*

Archive

Category

Share Buttons

Ayako KUNIYOSHI